知らないことを知られるという幸せ
学生時代、成績が良かった。
ところが、実はあまり勉強しなかったほうかもしれない。
そう書くとなんだか天才のような言い様で自慢しているみたいで恐縮だが、それも長くは続かなかった。
よく「この子は神童!」と幼少時言われた子供が大人になってもその状態をキープ?出来ている人はそんなにはいない。
あれは信憑性に欠ける。
ただ親御さんや周りの方々がその子の良い面を上手く伸ばしてあげられるならいいな。
特にこれからは「人(社会)の役に立つこと」が出来る人材に育ててあげて欲しいなと切に願う。
次の授業を受ける前に予習をしていたが、その勉強方法がたまたま「当たった。」だけである。
ある漫画家さんは美大を受験するために克服すべき合格点に至らず「ダウジング」の本を買って来て、本来しなければならない勉強をする時間をそれに全て費やし、習得し、たまたまその方法が自分に合っていたらしく、見事志望校に合格したのだという。
それにちょっと似ているのかな・・・ただただラッキーで、テストの点を取るのに「横着しながら点だけ取れればよい。」と、その場限りのやりすごしに過ぎなかったのである。
しかし、世の中そう甘くはない。
ある時、その方法が通用しないくらい範囲の広い課目に出会った。
専門的な分野のスタートラインといった時点でえげつないほどの赤点を取ってしまった。
当然焦った。
「そ、そんなはずはニャイ・・・。」
当時のアテクシはずいぶんとお調子に乗っていたので、頭を誰かにガツンと殴られたかのような衝撃を返ってきた自分のテスト用紙を受け取った瞬間に受けたのだった。
そういうわけで、身につかない勉強は何の意味もない。
そうこうしているうちに成績が段々と下がってゆき、やる気が一気になくなってしまった。
もともと「やる気なんてあったの?」という疑問もあるが。(苦笑)
ちょうど家庭の事情もあり、したい勉強はさせてもらえない環境にもあったし、わりと簡単にその道も諦めた頃であったから「ちょうどよかった。」という逃げの自分の時代であった。
大人になって「仕事以外は自分がいやなことは一切しない!」と決めていた。
勉強なんて特にしたいとは思わなかった。
しかし、生きてゆくための処世術といっては大袈裟だが、違った意味でいろいろと勉強して「みた」りもした。
それは役に立つこともあったし、「骨折り損だったな。実践に向かない。」というものもたくさんあった。
しかし、それは「やってみたから知られたこと」であり、「このような無駄な時間は過ごすまい。」という教訓にもなった。
アテクシは関西人だから物の考え方がちょっとがめついのかな?(関西人の方、ごめんなさい。悪口ではないです。良い意味にとって下さいね???)
タダでは転ばないのである。(爆)
何かと「身につけたがり」なのである。
悔しいから。(笑)
そんなこんなで成人してからも「学ぶ」ということについて、あれやこれや考えをめぐらせていたのだが、中年以降からなのかな・・・「学びたい」と渇望するようになった。
「取り返したい。」という勉強もあるが、それよりも純粋に「知りたいことが多くなった」のだ。
ただ取捨選択をしないと、なんでもかんでも詰め込めるわけではないので(中高年は記憶力も衰えてくるので)まずは興味を持ち、本当に知りたい情報だけ取りに行くのだ。
そういうわけで、本日も自分の宣伝みたいになってしまって恐縮だが、こういうブログもやっとりやす!
宜しければ見に来てちょんまげ~♪(←古ぅ~。死語?古語?)
すみませんねぇ・・・最近どうも調子が出なくて。
ホントーーーーッにすみませんっ!!(泣)
この度の西日本集中豪雨の影響による被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
現在被災地にいらっしゃる方には一日も早く元の平常の生活に戻られることをお祈り申し上げます。
出来れば犬や猫、その他の動物のケアも宜しくお願い申し上げます。
0コメント