音楽がある暮らし
数あるブログの中から幣サイトを見つけてお立ち寄り頂きまして誠に有難うございます。
以前どこかで「5才の時に家が傾いて、生活がジェットコースター並みに落ちてゆくばかり・・・」と書いたことがあったと記憶しておりますが、実際にはごはんが食べられなかったとか、充分な教育が受けられなかったとかそういうわけではありませんでした。
基本的にアテクシの考えは「座って半畳、寝て一畳」でしたっけ・・・「雨露しのげる場所があればいい」とさえ、思っている者です。
昭和43年生まれのアテクシ、確かに生まれた時からお手伝いさんはおりましたし、当時の日本ではまだ普及されていなかった家電製品(例えば現在は一般的なものになりましたが、食洗機等)もいち早く実家にはお目見えしていたようですし、この話はめったにしないのですが、話すと「珍しい!」と言われるオウム(名前はローラ!西城秀樹さんの曲?)や九官鳥、鯉もたくさんおりました。
富裕層などという大それた家ではなかったものの、裕福であったことは間違いありませんでした。(わが国ではプチブルでもセレブと称する人達が多いようですが、その認識はとても間違っています。)
幼稚園受験も経験しており、今はそういった準備がとても大変だとうかがいますが、アテクシの場合、ひとつ上の年齢のいとこの親(アテクシの父の兄にあたります)が開業医だったため、面接もしたっけ?というようなかなり優遇された入園となったようです。
ですが、この幼稚園、カトリック系で地元では有名だそうですが、家が傾いたばかりに途中で公立の幼稚園に転園することになりまして・・・
かわいらしいけれど窮屈なブレザーかなにかだったと記憶しておりますが、そういった制服からどろんこになって汚れても大丈夫!みたいなかぶりのスモッグに変わりました。
子供はそんなことでは悲しみません。
好奇心が旺盛ですから、案外アテクシはそれを楽しんでいたかもしれません。
ところが、ピアノを売るといったことになるまで、経済事情は悪化。
元々、いとこと同じことをさせたがった母は、このことがショックで、ヒステリックで欝状態に陥りました。
アテクシは「いやなレッスンがなくなってラッキー!」くらいの気持ち。
大人になって、最初の婚家が経営する飲食店にはピアノがありました。
元々、母体が不動産業でしたので、店舗の確保はたくさんあり、中でも高級クラブ(!)なんていうようなあの巻き髪チョココロネみたいなおねーさんがいるような特殊な世界のお店も営んでいたのですが、そこにあるピアノはアップライトでした。
ある自然災害時、ちょうどそのお店は拡大することになり、その界隈では2番目くらいに広いお店となりました。
ピアノはグランドピアノを新しく購入。
その時に元夫のご家族が、「道楽ヲンナちゃん、ピアノ好きなだけ弾いていいよ。」と店の鍵を渡してくれ、実は「これ、調律大丈夫なのかな?」とは思いましたが、お店のピアニストさんよりも先に一番最初にその鍵盤に触れることが出来、感無量だったことを覚えております。
あんなにレッスンが苦手だったのに、なぜか嬉しくて涙があふれた瞬間でした。
ですが、アテクシの手はとても小さくて、オクターブが届かないため、いくらレッスンを積んだとしても、弾くことができる曲は限られていたのでしょうね。
現在、アテクシの家族もまたピアノが弾ける者で、オペラパンプスにタキシードなんていう世界も知っている者ですので、よくその手の話を交わしたものでした。
ちなみにこいつは、最近は「リコーダーを習得したい。100円均一のものが欲しい。指使いを覚えたら本格的なものを買う。」などというような変な人間です。
この指使い、変わった吹き方をする海外の女性アーティストがいまして、それがこのお方です。
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最近は・・・とはいえ、もうずいぶん前からになるのでしょうか・・・スタジオなどでピアノが弾ける場所ではスタンウェイなどもあるようで、すごいなって思います。
ピアノだけでなく、楽器が出来る人は羨ましいですね。
アテクシは中学生時代にテニス部にいたのですが、途中で吹奏楽部にスカウトがかかり、三日間だけ入部しましたが、腹筋運動ばかりさせられてげんなりし、即、退部したクチです。
「音楽は偉大だ」
haha・・・ 自分語り、特に本日の投稿はナルシストみたいで気色悪いっスね・・・すみませんっ。
長文、お読み頂きまして誠に有難うございました。
皆様、素敵な一日をお過ごし下さいませ。
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