ペットシッター

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*下記の内容はアテクシが運営する違うサイトでも綴ったものです。


こういったブログもやっておりやす。


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              記:

わが国で都市部では「ペットシッター」という言葉は既に定着しています。

私がペットシッターのサービスを初めて利用したのは約20年前でした。

一人暮らしだったせいで、旅行や出張の際、飼育していた猫の世話がみられないので、近くのペットショップに預けたりもしたのですが、帰って来て迎えに行くと、そこには見慣れたはずの我が相棒の顔はなかった。

いや、正確には相棒はいました。

しかし、その形相はいつも私が目にしている顔ではなく、般若さながらのおそろしく険しいものでした。

「こりゃあ、ダメだ。そうとうストレスがたまったな。」

悪いことしたな。

そう、猫は環境が変わると過度にストレスを感じる生き物なのです。

で、何かよいアイディアはないかな?と考えあぐねていると、「キャットシッターというものがありますよ。」とこれまた猫好きの同胞からの情報を得られました。

「さっそく次の出張に依頼してみよう!」と、コンタクトをとりました。

聞くとそのサービスは飼い主が留守にしている間、キャットシッターのお姉さん(お兄さんはあまり聞いたことがないな、そういえば。)が自宅まで来てくれて、猫の世話をしてくれるというもの。

それ以外には植木の水やりや郵便受けに入った新聞なども受け取って家の中に入れておいてくれたりもするらしい。

いやはやこれはいい!とそのサービスを利用してみました。

出張先から帰ってくると、なにやら報告書なる用紙がテーブルの上に置かれていました。

そこには「○○ちゃんはいい子にしていました。おもちゃで遊びました。餌は缶詰を食べました。ウンチは立派なものを出しました。お宅の付近には不審な車もありませんでした。」等々が几帳面な文字で書かれていました。。

このサービスが当時は一匹につき1,000円だったのです。

現在は料金2,500円くらいが多いですね。(交通費別途負担)

昨今はスマートフォンなどで、外出先から留守番しているペットの様子を見られたりもできますが、仕事や旅行中にそれらをいちいち確認せずにおられなくなり、万が一何かおかしな場面を見てしまった場合、すっとんで帰らなければならない・・・などというのは飼い主にとってストレスではないのでしょうか。

特に仕事で遠方に来ている際、メンタルがあまり強くない人は落ち着かなくてミスをしてしまうかもしれない。

「この愛すべき家族(ペット)のために働いているのに!」

本末転倒です。

(ごはんも食べさせなきゃならん。具合が悪くなったら病院にも連れて行かなければならない。お金はいくらでもかかる。仕事を失うのはもともこもない。「そんな大げさな!」と笑う人は笑って下さい。実際、外資系などで働くバリキャリ女性など周りが全てライバルで、神経ギリギリで仕事をして、それでもちょっとしたミスでボスに無能と判断され、翌日オフィスに行くと自分のデスクがなかった・・・などという事実もあちこちで多発!)

そういったこともふまえ、このサービスは働く一人暮らしの人にとって特に有難いものなのでした。

但し、自宅の鍵をシッターさんに預けるという自己責任はついてきます。

その点でこのサービスを利用するのに躊躇される人もいます。

また「本当にきちんとペットの世話をしてくれたのか?報告書だけで判断してよいものなのか?」

不安があるのは否めない。

そして何よりも家を空けている間にペットに何かあった場合の保障は?

こういった不安材料にもなる回答はまた順を追って説明してゆこうと思います。

そういう仕事の一端を私達は担うのです。

さて、これからどうなりますやら・・・。

命あるものへの責任は重い。

そしてまだまだローカルではこのサービスがあまり定着していない。

概要を作成せねば・・・と誓った当時の初心忘るべからず。


☆今日の画像はモナリザ猫さんです。(笑)

つたない文をお読み頂きまして誠に有難うございました。

#ペットシッター



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道楽ヲンナの成れの果て

贅沢という病に罹患し、これはもう一生完治しないものだと諦めた。 ただ『贅沢』の定義は人それぞれだ。 潤沢な資金があるのが前提? そんなところで生きていない。 森茉莉のように生きたい。 一枚の絵を観て綺麗だなと立ち止まる。 そんな人になりたいが、心が豊かでないとなかなかそうはゆくまい。 花を愛でる(めでる)気持ちがあるか? 動物と親交を持つことが出来るか? ソンナヒトニナリタイ。