確固たる自分を持つ者に対し尊敬の念を抱く の巻

夏になると思い出す。

それもものすご~く暑い日になると。


大都会・大阪ミナミの心斎橋筋というのは普段から人が多い。

トロトロと歩いていると人にぶつかるので、地方から出てこられた人などが初めてその通りに出たならば、歩き慣れないであろうから、手をひいて歩行を補助して差し上げなくてはならないかもしれぬ。

ちなみに梅田、キタと呼ばれる場所だが、大阪駅あたりはおんぶして目的地にご案内差し上げなければならないのかな?などと思う。

迷子になるから。

江戸はもうその比ではナス。


で、冗談は顔だけにしておきますが・・・ずいぶん昔のある暑い夏の日、その通りの南向き方向に人の群れが進行していた。

そのすきまに、ものすごくスペースをとって動く何者かがいた。

それはホームレスなのか浮浪者なのか正しくはどういった属性の人かわからないのだが、瞬時に「そういう人なのだ。」とみてとれるお方・・・。

なぜならば台車のようなもの?リヤカーみたいな車に何か荷物を載せて、上半身裸で歩いていて、犬を連れたおじさん・・・という大阪では「そういった感じの人」という定義と一致する完璧で正確な姿をなさっておられたからだ。


ちなみにそういった人達は生活に困窮しているはずなのに(一概にはいえないが)なぜだかわからないが、犬や猫を連れて歩いていることが多かった。

そして犬や猫もおじさん(おばさんは見たことがない)に懐いていた。

なんかわかる気がするナー。

いわゆる世捨て人って、人間ではなく、動物しか愛せなくなっているのでは?とその部分にアテクシは共感する。


そして、おじさんを二度見してしまった!

「ぎょっ!」としたからだ。

上半身は決してジムで鍛えたのではない過酷な暮らしで自然についた筋肉質で、日に焼けて(汚れて?)浅黒く引き締まった体つきでかっこよかった。

だが、その下・・・

なんと!おじさん、大人用おむつを穿いていたのだ。(履いて?着脱動詞はこれで合ってるな?誤っていたらお知らせ下さいませ。笑)

真っ白な・・・アトムパンツではなく・・・

それも目のやりどころに困るが・・・

真っ白なおむつ。

今でいう老人用アテント?

いや~、なんかかぼちゃパンツみたいな形状になっていたから、そんな「ええやつ(良いもの)」とは違うーーーーっ!!


歩く人、皆、不躾な視線でおじさんを見ていた。

炎天下・・・つってもアーケードだから直接日光は当たらないが、もう明るい明るい暑い日に、おじさんめちゃくちゃ目立ってるやんっ!!

夜ならね・・・そういうことはけっこうありえる街なのですが・・・。

それくらい珍しい姿だったのです。

珍獣発見並みに・・・。


アテクシは思った。

ちょっとおじさんが羨ましいなって・・・。


だって、そのおむつおじさんは背筋がピッと伸びていて、決して下を向かず、前を見て堂々と歩いていた。(まぁ、正確には台車のようなものを引いておられたので、少しは傾斜した姿勢ではあるのだが、猫背ではなかったのだよ・・・。)

だから何か確固たる思想のようなものをお持ちのパフォーマンスの人なのかな?とも思えたが、やっぱり「ホンモノ」なのであった。


おじさんを羨ましいと思ったのは、人目を気にせず、何か人生において「つきぬけた感」があって、かっこよくみえたからだ。

「小さくまとまんなよっ!」と往年の三上博史のドラマのセリフみたいにその背中が語っておられたのだった。


関西には昔からこの手の話は多く、例えば道頓堀のひっかけ橋や三宮の駅の前であるとか・・・の場所に、乞○のかっこうをした人が地面にぺたんと正座し、お金をめぐんで下さいというスタイルの人がいた。

ところが、その人達は実はどこぞの企業のトップや会長で、時々そこへやってきては、世の中を自分が座っているその地面の高さで眺めているという。

それを生業(なりわい)としているわけではなかったのだ。


だから、あのおむつのおじさんが最終的にどこに行くのかが妙に気になり、「X子(アテクシの名前)早よ(早く)行くでー!高島屋のシャネルが私を待っている~♪」などとアテクシの腕を乱暴につかんでウキウキしているお洒落番長気取りのお気楽な友の手を振り払って、「序列は犬の下でいいですから、どうか私を違う世界に連れて行って下さいッ!!」と、当時の狂った世の中に辟易していたアテクシは心の奥で叫んでいたのである。


また余談であるが、そういった人達が集まる町が大阪のとある地区にある。

昔、何かのイベントを招致するだのしないだのといった時、その辺りのホームレス達に住居を提供しようとし、市の政策は失敗に終わった。(うる覚えなので誤っていたらごめんなさい。ご存知の方がおられたらご教授下さいませ。決して笑い話のネタではなかったと思うのですが???)

理由は「プライバシーが保てないから。」


ホームレスのおじさん達は、真新しい共同住宅よりも個々がぶきっちょな手作りでカスタマイズを重ねたビニールハウスのほうがコンフォタブル(快適)だったようだ。

つまり「俺流DIY」のほうの暮らしを選んだのだった。

自分流・・・といったところだろうか。

道楽ヲンナの成れの果て

贅沢という病に罹患し、これはもう一生完治しないものだと諦めた。 ただ『贅沢』の定義は人それぞれだ。 潤沢な資金があるのが前提? そんなところで生きていない。 森茉莉のように生きたい。 一枚の絵を観て綺麗だなと立ち止まる。 そんな人になりたいが、心が豊かでないとなかなかそうはゆくまい。 花を愛でる(めでる)気持ちがあるか? 動物と親交を持つことが出来るか? ソンナヒトニナリタイ。